…なぜブ-タンなのか?

…霊的な国

宗教的な出来事がブ-タン王国の歴史を特徴つけているように、宗教の影響が一般の人々の日常生活のなかに色濃く見られます。ブ-タンは霊的な国です。何百という聖なる僧院、仏塔、宗教的建造物、経文旗、マニ車が各地に点在し、それはブ-タン人の今なお生きる信仰の強力な礎となり、宗教的雰囲気をかもしだしているのです

ブ-タンの都市部においても田舎においても、宗教的な行事や儀式が定期的にうやうやしく執り行われます。日めぐりの良い日には、ブ-タンの家族は祈りとバタ-・ランプをささげるために僧院にお参りします。ブ-タン人の生活の運勢占いは経文によって行ないます。季節ごとにある全国的なお祭りや地方のお祭りは、国民にとって一大年中行事なのです。そういうわけで仏教界は、霊的重要性のあるブ-タン王国を、大乗仏教の最後の砦とみなしているのです。

今世紀初頭、異教徒のネパ-ル人少数民族がブ-タン王国の南部に住みつき、ヒンズ-教をもたらしましたが、これはブ-タンでは仏教と密接に関係のある宗教とみなされています。

…豊かな文化

ブ-タンの言葉や文学、芸術や工芸、儀式や行事、それに基本となる社会的、文化的価値はその本質を仏教の教えから学んでいます。伝統的な工芸は今日も生きていて、例えば伝説的なタンカ(仏画)に見られます。見事な伝統的絵画も僧院や民家において見られ、それは建築のすばらしさを巧みに高めているのです。

すばらしい建築もブ-タンの重要な一面です。どっしりした僧院の要塞から民家や橋に至るまで、その技術力と美的感覚はあらゆる建物において他に類を見ません。壁やドア-や窓の伝統的な形、色、模様はブ-タン独特のものです。

…自然の楽園

ブ-タンは自然の楽園と呼ばれてきました。世界中で自然が破壊されたことを悲しんでいる現在、この小さなヒマラヤの王国は、人と自然が平和に共存している例として国際社会に登場するのです。ブ-タン全土の72パ-セント以上が山で、さまざまな種類の珍しい動植物が生息しています。

中国とインドにはさまれ、ブ-タンの国土は南部亜熱帯の丘陵地帯から、気候温暖な地域、そしてめくるめく7、300メ-トル(24、000フィ-ト)の高さの山までと変化に富んでいます。歴史的記録によると、ブ-タンは「ロジョン・メンジョン」つまり「薬草の南の谷」として知られていたそうです。

これらの珍しい薬草に加えて、ブ-タンの四季は色鮮やかな野の花や植物に彩られ、それが山々を絨緞のようにおおいつくすのです。

…人々

ブ-タンの人々はいろんな意味で一つの大きな家族のようです。人口の90パ-セントは農業で生計を立て、ヒマラヤ山脈の険しい土地にある、人のまばらな村々に住んでいます。

低地では米が、他の谷では小麦、そば、とうもろこしが主食で、人々は険しい山の斜面に作られた棚田を耕しています。ブ-タンの村々では、これまで外界とは限られた交流しか持たずに谷に住みついてきました。人々が個性的で独立心が強いのはそのためです。

またそれと同じ理由により、人口は少なくてもブ-タンにはいくつもの言語や方言が生れてきました。ブ-タン人は生れつき強靭な肉体を持ち、自立心が強く、常にユ-モアのセンスにあふれています。暖かいもてなしの心は、ブ-タンでは元来備わった社会的価値なのです。

…他国に征服されたことのない国

ブ-タン人にとって大きな誇りは、自国が一度も他の国によって征服されたり植民地化されたりしなかったことです。口述と古文書によって伝えられたブ-タンの歴史は、ブ-タン人たちが自給自足の生活を営み、そのため20世紀になるまで外の世界とはごくわずかの行き来しかなかったと伝えています。

ブ-タンの歴史の初期の目印として今日見られるものには、7世紀にできた僧院が2つあります。パロのキチュ寺とブムタンのジャンベイ寺です。これらの大変尊い僧院は何世紀ものあいだ保存され、発展してきました。

8世紀にグル・リンポチェ(パドマサンババ)はいくつかの聖なる祈りの場所を設立しましたが、それらは今日、仏教界では重要な巡礼地となっております。ブムタンのクルジェ寺やパロのタクツアン僧院(虎の巣)がその例です。

ブ-タンの歴史でもう一つ重要な時期は13世紀の初めで、仏教指導者、パジョ・ドルゴム・ジンポがブ-タン西部で大乗仏教のドルクパ・カギュ-派を広めたのです。何年にも渡り、多くの聖人や聖職者がブ-タンの歴史の形成や仏教の発展に貢献してきたのです。